我が家のリノベーション

我が家のリノベーションコンセプト

  • 居住環境の向上
    1、バリアフリーを目指した床段差の解消
    2、1階床下断熱材設置による床冷感の低減
    3、窓の気密性、断熱性、防露性向上
    4、室内土壁面仕上げによる土埃粉塵の解消
    5、2階天井設置による熱負荷の低減
  • 耐久性の向上
    1、外壁仕上げの追加による土壁の保護
    2、2階床面水平剛性の向上
    3、雨漏れ修理、腐朽部構造改善
  • 光熱費の低減
    1、薪ストーブ運用による灯油消費量の低減
    2、豆炭炬燵の採用
    3、深夜電力の採用

フラット床

2重硝子サッシ

雨漏れ修理

床下断熱

2階の天井

薪ストーブ

はじめに

我が家は私と同年で今年で新築以来59年になります。
街中にアパート暮らしをしながら通いで改修を始めた為、ガソリン代もばかにならず、「一日でも早く引越しが出来るように」と取組んでいたことを思い出します。

この家は、私が手に入れた時には居住しなくなってすでに25年ほどは経っており「荒れ放題」と言っても過言ではない状態でした。
構造、間取りとしては、土壁木造2階建、1階は和室2・板間2・囲炉裏部屋・炊事場・豆腐場・農作業の作業場、2階は蚕を飼っていた形跡と屋根裏薪置場…概ねそんなところでした。
壁は、大概の古家でそうである様に「取り敢えず荒壁のまま」、その状態が長年に亘っていた為あちこちが崩れている状態でした。
特にこの地は南風が強烈な為、南側の外壁は穴だらけ、屋内に雪が積もっていたこともありました。北側も同様、崩れた壁にトタンを当て養生されている状態でした。

座敷は全く仕上げられていませんでした。天井は後から付ける予定をしていたようで、粗い2階床板の裏が見えたままになっており、壁の仕上げも無く、床に畳が敷いてあるだけでありました。
さすがに不居住年数が長い為、あちらこちらに傷みが出ており、下見では気づかなかったものも多く出てきました。
もう少し至近年まで居住しておればここまでにはなっていないと思われました(居住者が修繕するでしょうから)。

また、豆腐屋を営んでいた経緯から、壁にもかなり水を掛けたのだろうと思われ、後に解体を進めるとクリの土台は腐りきって無くなっており、柱は宙ぶらりんとなっていました。
さらに、裏側の屋根に谷がありますが、その部分の納まりが悪く、そのせいなのか谷樋のせいなのか雨漏れが酷くジャジャ漏れ状態、その下にある柱は根元が腐っていました。
裏側には農作業の作業場として使われていた場所があり、梁の下につっかえ棒があったのは分かっていたのですが、余りよく見なかったので後になってそこの梁が折れていることに気づきました。つっかえ棒を外すと折れた口が開いてしまう状態でした。
もう一つ、先ほどの雨漏れ部の軒先が丸桁で間口12尺(畳2枚分)を架け渡してあるのですが、その中間の梁が斜めに投掛け梁となっていて、母屋の2階柱の根元にホゾ入れしてありました。
しかし、抜け止めが施されていない為ホゾが抜け出てきているのが分かりました。
この作業場部分は後から増築されたものだと気づかされました。
この地は雪が多く、北陸地方特有の湿った重い雪で、その雪が2階の屋根から落ちるは、作業場の屋根雪がズルはなどで、梁が折れたり、母屋側の1階柱がないことで後から2階柱に斜めに投掛けで納めていた場所で込栓も出来ずにホゾが抜けてきていたと考えられました。

土台の腐れ

ひどい雨漏れ痕

雨漏れの下は広範囲に黒黴で腐っていました

作業場梁折損箇所 つっかえ棒の所

引越すまで

そこで当面は

1、雨漏れを修理。
2、計画図に則り、玄関廻り・水廻りと取り敢えず寝食をする場所を整える。とすることとしました。
3、あと出来るだけ早く作業場の構造補強が必要なことは判りましたが、いかんせん手が回りませんでした。

  • 設備の話:川の上流部に位置する為、排水の処理については良く考えました。
    当初は、雑排水は沈殿型の放流槽をつけて上澄みを放流し、汚水は「バイオトイレ」などで検討していました。
    バイオトイレでは汚物は堆肥化され畑に帰って行き循環できることが魅力でした(自分の物が役に立つ良い響きだったと思っています)。
    しかし、清掃やら管理やらなかなか難しいのではないかとの検討結果で結局「合併浄化槽」を導入することにしました。
  • 電気の話:「外見は古くても中身は最新」と言うコンセプトで「オール電化」を目指しました。
    ランニングコスト的には「コンプレッサー式」の給湯設備が良いのは解っていましたが、当地の冬の寒さと雪深さを考慮し、構造の簡単な「ヒーター式」としました。あとは「IHコンロ」と念の為の「エアコン」。
    しかし、昨今某電力会社の収支の悪化を理由にした「オール電化住宅」に対する電気料金値上げの発表…簡単には設備変更が出来ないことを見透かした振舞い…呆れるばかりです…あまりにも身勝手なことと憤っています。
    つまらない愚痴を言ってしまいました。

計画通り、雨漏れの修理をし根腐れ柱の根継ぎ、豆腐場の構造組替などをしているうちに、早、手を付け始めて3か月ほど、そろそろ冬を迎える為の対策をしなければなりません。
土壁を取り払ってしまった箇所に仮の外壁、作業の為の暖房設備、雪囲いと冬の準備を終わらせて、さてこれから冬場も頑張ろうと思った12月の初め…
その頃この家には水、トイレは無いので、水は近くの水場からポリタンクに汲んで来ていましたが、トイレは近間の公共施設のトイレを使わせてもらっていました。
ちょっと腹具合が悪くなってきていつもの公共トイレに向かうとなんと「12月より冬季閉鎖」となって使えません。
その日は街場まで我慢して事なきを得ましたが、これは困った……「今後どうするべぇか?」と悩んでしまいました。このままだと公共トイレが再開される4月まで何もできないことになってしまいます。
そんなことを近所の人に相談したところ、快くトイレを使えと言って下さり冬場も作業を続行できることになりました。感謝です。

谷部雨漏れ修理

じゃじゃ漏れ水たまり

豆腐屋をやっていました

腐った土台を外して軸組組替

腐れ柱の根継ぎ

1年目の冬支度

そして雪国の冬は大変です。この年は積雪量がここ何年かの間でもかなり多い年で、車で通っては来ても9時頃に着いてまずは車を駐車させる場所の除雪に1時間~1時間半もかかってしまい、そして車を入れて、やっと次に屋内に入り、時計型の薪ストーブに火を入れ湯でも沸かして暖を取っているともう昼になってしまうという、何しに来ているのかわからないような状況でした。それでもほぼ休みなく通い、細々と刻みなどを進めていました。

そんなこんなで作業をしていたところ、3月11日東日本大震災が発災、何やらを刻んでいたか土壁の竹木舞か竹釘かをやっていたと思いますが、ゆっくりと長く揺れたのを覚えており、これは大きい地震があったなと、この日は早上がりしました。

世の中は大変なことになっているのに、私はとにかくやらなければならないことに精を出すしかなく頑張っておりました。

屋根雪おろし

積雪の様子(1.5mほど)

北側荒壁土付け状況

次に準備するのは「土壁」の材料です。
「壁土」を新しく準備するには、「粘土質の土」の入手もさることながら、その「土を練って寝かせる場所」が必要です。
「どうしたもんか…」と思案していた時、近所で家を解体する人がおられ、壁土をリサイクル回収させてもらうことを了承頂けました。ここから「壁土地獄」が始まりました。

「壁土」は、勿論自分の所のものはリサイクルするつもりでいましたので、既存にあった壁の土量はほぼほぼ確保できるはず…
あとは既存壁土の回収ロス分と、今回は壁の仕上げをしたかったので「中塗り土」分の確保が必要です。
解体工事が始まってしまうと壁土も残材と混ざってしまい仕分けがかなり困難なことは容易に想像できたので、ここは解体工事が始まる前に何としてでも「壁土回収」をしなくては…、
前以って足場を組んで、土蔵の壁土をケレンコテで落して、土を土嚢袋に入れて、軽トラックで運搬…これを延々繰り返す…。まあまあの土量を確保したつもりでした。
が、土を付けはじめると思っていた以上に土量は必要で…まだまだ足りない…。
結局、解体が終わった後も壁土が落ちたであろう場所に出向き、土をいただくことに…。解体後の土回収は想像を裏切ることなく、草が生えてくるは残材も交じっているはで、持ってきた土をふるいに掛け選別する作業~この一手間はこれ又大変でした…。

壁土をいじったり、塗ったりするのはとても大変な作業で、それでも材料が手に入るだけ良しと思いやっていましたが、この時の作業記録を振り返ると常に「疲れた」とか「疲労困憊」とかの記述があって大変だったなぁっと感慨深いです。

壁土付け

壁中塗り

夏から始めた改修工事も1年を経過、遅々として進まないが「着実に進んでいる」と言い聞かせ、時に先の作業量を考えると気が遠くなる思いがしたものでした。
何しろ毎日毎日同じことを繰り返して結果を見るしかないものなのです。
外部建具が付くとなにやら立派になってきた?ように思えたものでした。外部建具は強風の吹く土地柄で、土地の人に「建具がガタガタいって寝られんぞぅ」と言うアドバイスを受けてアルミサッシにしました。

昭和30年前半頃、車がある家庭も無かったと思われ、この家も例外なく駐車場所がありませんでした。今は此処で暮らすには車は必需品、車庫とまでは言わずとも駐車場が必要で玄関脇に土間コンを打つことにしておりました…。

その作業の段取りを考えていた時か、他の時か…10月、薪置場を建てている最中にカメムシが大発生、作業している傍からカメムシが顔にぶつかってきて大変だったことを思い出します。 嗚呼又冬が来るなあと感慨に浸っていた…のもつかの間…と言うことは「又公衆トイレの冬季閉鎖ではないのか!」とはっとし1年経っても我が家のトイレが出来上がっていないことに愕然としました。「これはまずい!」2年も続けて人の家のトイレを借りるわけにいきません。
優先順位をトイレに変更し、11月中にトイレを設置すべく全力投球。設備屋さん、電気屋さんに連絡を取って何とか11月19日に我が家のトイレが共用開始となりました。
この時は実に嬉しかったことを覚えています。

西側サッシが入った

駐車場土間コン

薪置き場建ち舞

トイレ完成

引き続き洗面所、風呂場、洗濯脱衣場を完成させました。
年内には作業時の休憩場所を洗濯脱衣場に移設し、コタツやストーブを押し込んで、快適な空間を得ました。
その後、こういう場所が出来たことで、昼飯に「昨夜の残りのおでん」を持ってきて温め食べた時の旨さと言ったら、今までに食べたおでんの中で一番だったと記憶しています。

2年目の冬も雪の量が多く裏の積雪が軒先より上回り屋根雪が落ちない状態となり雪おろしもさらに厳しいものとなりました。

作業は水廻りの続きで台所の天井、壁、床とその周りの3室と広縁を仕上げ、夏前にはおおよそのところが出来上がって、とりあえずの「引っ越し」手を付けはじめて2年の8月上旬となりました。

玄関石貼り

玄関ポーチ屋根

玄関ポーチ石張り(外構は妻担当)

2階の完成まで

しかし、引っ越してしまうと経済的には楽になりますが、まだまだ手つかずの場所が多々あって、これから作業をしなければならない場所に物を置く訳にもいかず、生活用品・材料等をその都度移動、養生をし…作業の段取り替えが大変になりました。 
引越後、次の工程は2階。
早速、階段を設置する部屋をビニールで養生し隙間を目張りした状態で2階の作業に移って行きました。

まず、2階にある物を全て外へ放り出すところから始まります。豆腐を作るアルミの容器やら蚕を飼う笊のようなもの生活用品やら木材やら薪やらその他諸々…そして掃除。

そこまで終わってから窓廻りを改造、ここもまともに建具が動かないのでアルミサッシを入れるように改造しました。
特に2階の東側の窓は窓台が低く作業場の屋根が窓に被ってしまっており、その隙間から雪が1階に降込んでいました。窓台の高さを確保して屋根の納まりができるようにしました。

階段建ち舞

そんなことをやっているともう冬がすぐそこまで来ています。まだ、我が家のメイン暖房器具”薪ストーブ”を設置していませんでした。薪ストーブは海外製の物がもてはやされ、調べていてもそういうものばかりが目につきますが、なんといっても高価、これが我が家では一番のネックで、もっと低価格で、ある程度の性能を探し、国産、新潟のホンマ製作所に行き着きました。色々と解らないことばかりでしたので、メールなどで問い合わせをし、本体はもちろん煙突、防火のことなどある程度理解した上で炉壁、炉床などは先行して作っておきました。後は、本体と煙突を付ければいいだけなのですが、本体が150kgとかなりの重量、一人や二人では床上に上げるのは難しいかと人足を頼みました。(ここは限界集落、高齢や腰が悪い人に無理させるわけにもいかなかったのです。)
後は外回りに足場を2段組んで煙突を設置し完成ですが、眼鏡石周りの隙間が気になり、ステンレスのカバーを追加発注して塞ぐことにしました。
 その後、何しろ毎日改修工事をしていたもんですから、肝心の薪が集まっていません。ある程度の量は近所の人の協力をいただき集まっていたものの、薪置場の半分にも達していなかった。これではまずかろうと言うことで、初雪が積もった山に出かけ雪の中から薪を調達、という訳で乾かす間もなく、火が出ても暖かくならないという洗礼を受けたのでありました。

翌年になりますが、煙突を付けた壁の漆喰にひび割れが発生(強風による物と思われる)、ただ、今のところはひび割れの進行は止まっており眼鏡石カバーを受けている下地が柔だったと反省しきりです。

次の作業は階段、2階天井、クローゼットです。雪が積もってしまうと材料の搬入もままならなくなるため、11月中旬頃には2階で使う材料を手配し搬入しました。
(ストックスペース、作業スペースを考慮した量としたことは言うまでもありません…)
1月中、天井下地、クローゼット軸組、階段設置した後では足場が面倒になりそうな壁、天井の先行施工を行いました。
2月から階段製作の開始です。階段を受ける位置の距離、高さを慎重に計測、勾配を定めて蹴上、踏面をあーじゃないこーじゃないと検討し、ようやっと墨付け刻みです。
始めは知り合いから譲り受けた階段定規とルーターでサーッとなどと考えておりましたが、
結局面倒臭くなり(実は定規とルーターの使い方がよくわからん)手掘りしてしまいました。手摺も同時製作し、仮組後、3月8日階段建ち舞、1階で組み立てたものを簡易ウィンチで吊上げて取付け、なかなかエキサイティングでした。引き続き踊り場、階段手摺、2階手摺と設置し養生を行ってから2階の天井に移ります。
前にも話しましたが、2階は蚕を飼っていたようなので、天井などはなく小さなこの家でも結構な小屋組みがされており、当初はこの小屋組みを見せる方が良いのではないかと考えていましたが、近隣の方から「天井がない時は冬が寒くて辛かった」と聞いたこともあり、やはり屋根雪が長く載っていること、暖房効率などを考慮し天井が必要との結論に達しました。豪壮な構造を隠してしまうのは忍びないが致し方なく天井を張りました。2階は羽目板の打上げ天井です。
残りはクローゼットの内装をした後、床工事に移ります。

2階の施工

階段

2階天井

小屋組

計画時より2階の床の水平剛性を上げたいと思っていたので、床面全体に構造用合板を打ち付けました。これを済ませて屋根裏納戸化工事、6月より土壁の中塗り、漆喰塗り、フローリング板張りを経て6月末に2階の完成を見ました。とりあえず出来たことが嬉しくて、すぐに2階で寝てみようということになり、カーテンもついていない時に窓外に蛍を見ながら寝るという乙な体験をしました(妻のみ)。取り敢えずなので床に直に布団を敷いていた(ベッド製作予定あり)ところ寒くなってきたら結露したらしく布団にカビが発生、早急にベットを製作しなければならなくなりました。

病気や怪我を乗越え

7月よりいよいよ問題の作業場屋根と構造補強に入ります。またまた解体と片付、床を上げていたところを壊し土間コンを打設、母屋の壁を仕上げ8月に入って屋根の解体(これがまた大変でした。下地が木舞と杉皮になっていて細かく取れるので始末に悪い)、垂木を一部取り替え野地板を新調して瓦屋さんに任せて屋根は完成。
引き続き構造補強、梁の折損箇所は門型と折損下部に柱の追加、ホゾの抜け出し箇所は12尺の中間に柱の追加と直行方向の3尺のところにもう一本柱を追加、抜け出しに抵抗させることにしました。それに前後して基礎と外壁、柱を追加したことで作業場の使い勝手が微妙なものとなった為、道具類の収納テーブル設置に変更しましたが、いかんせん作業場所がなくなってしまいました。その後ホゾの抜け出しは納まって逆にホゾ穴に戻って行きました。

梁折損部門型と柱の補強

ホゾ抜け出し部補強

作業場改修が終わってからはまたまた薪集め、いつも集めるのが遅くなってしまい乾かなくなってしまうのは分かっているがいかんせん改修工事も天気次第のところもあって優先順位が下がってしまうのは否めない。
その後は何やかやと雑用もあり、もう年末、この頃より体調が悪くなりこれが長期になるとは思いもしませんでした。
思い起こすとかなり疲れが溜まってきていたのでしょうか?温泉などに通いやっとこさ2月に入って昨年作ったクローゼットの建具の製作に入ることが出来ました。大きい方が良いと決めた高さは6尺で長さ24尺分の建具となると結構な作業スペースが必要で、半分ずつ製作することにしました。3月5日に片側4枚、3月21日に残りの4枚を何とか納めてクローゼットの完成です。

調子も出てきて、4月にはベット製作を開始、4月末には設置出来ました。

クローゼット建具

すのこベッド

5月に入り、引き続き母屋の最後、1階の座敷(6畳・8畳和室)に入ります。
まずは6畳和室の押入れと縁側押入れの格好をつけて、縁側サッシ受けと床下地を作り5月サッシが納まり、8畳床の間の格好をつけて、6月より天井に入りました。和室の天井はシンプルな棹縁天井、板には少しだけ気張って杉板のうずくりを使いました。まずは廻縁と下地、棹を作って壁の中塗り、漆喰塗りを経て天井板、羽重ねを竹イナゴで押さえてあります。
座敷の改修に前後して妻が入院してしまうという事態が発生、病院に通いながら壁を塗り、天井板を張って、今日はここまで出来たぞっと、元気づけの報告をしておりました。
10月末には座敷の造作が完成、畳を発注して11月6日に畳が入り、後は6畳の縁側境の障子を手配、寒くなる前に納めることが出来ました。

和室天井

板間壁天井

その後は襖紙の張り替え、残材でテレビ台などを作ってみたりして、翌年春より納屋の建替えに着手、既存の納屋の解体片付のち基礎工事ですが、3坪ほどの納屋の基礎コンクリートで量も微妙だし、捨コン、土間コン、基礎立上りと部位別ではいよいよ少量、道路より少し入り込んでいるし、ネコで打つにしても手返しを考えると人手がいる、で、覚悟を決めて手練り(小さいミキサーで)でやることに決めました。決めましたが、考えるのとやるのは大違い、ミキサーで練ることが出来る量がごく少量なので、回数が必要なのと、ミキサーのホッパーへの骨材投入、コンクリートの流し込み等バケツ施工は実に重く何度もやりたくない作業でした。

木工事は野丁場で雨が多く毎回積みなおしてビニール養生を繰り返すのは大変でありました。
頼んだ材はかなり寝かせたような材も交じっており、かなり厚めに鉋を掛ける必要があって、まあ納屋だしと言うことで仕上がり具合はざらつかない程度としました。
そんなこんなでめでたく7月17日知合いの応援を受けて無事建舞いました。その後は建て入れを確認し込栓打ち、垂木を打って軒先を決め淀、上り淀、破風、野地板を打ってフェルトを張り軒先水切りを入れて小波板を張って棟の納めをしてひと段落しました。この後間柱を入れたところで自分が怪我をしてしまい来春まで空けることになってしまいました。

その後はある程度傷が癒えるのを待ち、充分に暖かくなってから、建具、外壁、棚などを施工して現在に至っています。

納屋建替え

奥に傾いた納屋

おわりに

今般、ホームページを作ろうと改めてやってきたことを振り返ってみましたが、まぁ、良くやってきたなぁと感慨深いものがあります。一人でやっていると、出来栄えはお世辞にも立派なものとは言えませんが、調査をして、計画をして、図面を作って、段取りをつけて、材料を手配して、墨付けして刻んで仕上げ納める。木工事だけでも大変です。木工事でも構造と造作と、左官も土方もコンクリートもモルタルも土壁の下地も基礎の型枠も数えればきりがないほどの作業があります。解体や清掃片付け、一つ一つをちゃんとやっていかないと次には進めません。つい良い加減になってしまいそうになるのを相棒でもある妻に諌められたのも日常的だったと思います。外構工事や石張りなどは妻が担当しています。重量がある物や大きさがある物など各工程で相棒との二人三脚でした。怪我だけはしないようにと常々気をつかっていたつもりでしたが、慣れというか、気が急いていたというか、よりによって終戦記念日に作業をしていて丸ノコで指の先を切り落としてしまいました。怪我をして初めてなんであんなことをしたのかと思っても後の祭り、やはり言い古されていても、体が資本です。健康で元気であればなんでも出来る。精神も肉体も健全でいることが一番重要であると改めて思います。今後も、いろいろな危険が潜んでいることを忘れず取組んでいきたいと思っています。

最後に、拙い文章で読みにくく解りにくいといったことも多々あったと思います。それでも最後まで読んでいただきありがとうございました。

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