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昔は月を見ていた、と思う。
最近はとんと見なくなっているのではないですか。
何故でしょう?
忙しさにかまけて、面倒臭い、虫に刺される、そういう習慣がない、月が昇って見られる位置に来るまでに酔いつぶれている、眠くて見られない
人それぞれ、見られない、見ない理由はありますね。
月見の意味
月を見ることは、庶民には時刻を知ることだったり、方角を知ることだったりしたのだと思いますが、それこそ上流階級では観月で楽しむなんてことになって、それがいつしか庶民にも降りてきて、収穫を感謝したりする儀式に発展していったようです。
月のおさらい
- 月は「地球」の衛星で、地球の周りをおよそ一月で1周してい
る。
- 月自体は星と同じで、太陽の光を反射することで輝っている。
- 太陽が月によって覆われ、太陽が欠けて見えたり、あるいは全く見えなくなる現象を「日食」と言い、
- 地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けて見える現象のことを「月食」と言う。
太陰太陽暦
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人が活動をする上で暦が重要な役割を果たすことは、疑う余地はないと思います。
そして、十五夜とは、明治期に現代の太陽歴(グレゴリオ暦と言うそうです)に代わるまで使われていた暦である太陰太陽暦に登場するものです。
それ以前の太陰暦では、月の満ち欠けによって暦を数えていたので、新月(月齢0)が始まりで1日、そして満ちて行き、およそ15日(月齢14)で満月、そこから欠けて行き、完全にかけて月が終わる、ひと月です。
従って、十五夜はいつも満月ということになります。
この暦では、ひと月の満ち欠けは約29.5日となるそうです。
そして、ひと月を12倍した日数は[354日/年]で、太陽暦の[365日/年]と11日ほど差異が出てしまいます。
そこで、太陰暦では実際の季節の進行とのズレが大きくなってしまうため、3年に1度一年を13ヶ月とする閏月を設けるという太陰太陽暦としていました。
閏月は季節の進行に合うように挿入する月を変えていたため、閏月がどこに挿入されたかによって現在の太陽歴とのズレもまちまちになるわけです。
【名月】十五夜・十三夜
次の月のことを名月と呼ぶようです。
- 太陰太陽暦(旧暦)での8月15日;十五夜、中秋の名月、芋名月とも言われる(2018年は9月24日)
- 太陰太陽暦(旧暦)の9月13日;十三夜の月、栗名月とも言われる(2018年は10月21日)
太陰太陽暦の十五夜は毎月有って、月齢14でほぼ満月になるのですが、満月が全て名月かというと、どうもそうではないらしい?
理由としては
- 中国より太陰暦が伝わった折に旧暦の8月15日に月を愛でるという行事も一緒に伝わったもの。
- また、旧暦9月13日の十三夜月は日本独自の風習で収穫祭の一つであったのではと言われている。
- 他に、月が出るときの高さが、春秋分の時期がちょうど良い高さで見やすい。
と言ったことが挙げられています。
要は、「見るに値する月が出ている時の満月かそれに近い月」が名月ということでしょうか。
中秋
太陰太陽暦では1年を4季に区分し
春;1月、2月、3月
夏;4月、5月、6月
秋;7月、8月、9月
冬;10月、11月、12月 となっており、
このうち秋の8月が真ん中で、中秋ということだそうです。
その他にも、聞き覚えがある24節気も中国より伝わったものとのことです。
24節気は中国の戦国時代の頃、太陰暦の季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)という。太陰太陽暦では暦と季節のずれを正すものとして用いられる。
ウィキペディアより引用
実際に月を見ようとしても、9月は台風シーズンでもあり、あまり好天に恵まれないようですね。中秋の名月は見られないことも多いようです。そこで、旧暦の9月13日の月(十三夜月)を愛でるようになったとか。
まとめ
- 名月とは、旧暦8月15日の十五夜月及び旧暦9月13日の十三夜月のこと。
- 十五夜は中国より太陰太陽暦が伝わった時にその行事として一緒に伝わったもの
- 十三夜は、十五夜が愛でられないことが多いので、後の月として日本で定めたもの。
- 旧暦で決まっている日は、現在の太陽歴に換算する必要がある。
- 旧暦の閏月は挿入される月が決まっていないので、単純に1ヶ月ほどずれ込むとは限らない。
月を見る場所も大切ですね。
ちょうどよく南の空が開けていればいいですけど、私の住んでいるところは谷あいの山里なので、近くに山が迫っていて空が狭いのです。
月を見るなら、開けた平野か丘陵地でも南側が開けていて欲しいものですね。
そんな場所が見つけられたら、観月台を設えて、ゆっくりじっくり月見で一杯としゃれこみたいものです。
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